
須賀敦子さんの軌跡を追って、ミラノの街を旅した大ファンの方、
読書会は全く初めての方も
ご参加いただきました。
・皆さん、文章の持つ魅力、巧さと温かさなどは同意見でした。
・須賀さんの作品の中で一番印象深い、映像が浮かんでくるみたい。
・日本ではほとんど感じられない上流階級の人々の描写が興味深かった。
・魂と分かち合うほ相手と巡り会えた幸せと、早すぎる死別ゆえ、
作家への道を歩み出し、心を動かされる物語を紡ぎ残されたが、反面切ない。
・戦後の日本で、女性の生きる選択肢が結婚しかない時代、周囲の圧力をはねのけ、
イタリア
で生きることを決意した生き方に強く共感。
・どこかしらイメージがぼんやりしているとの読後感があった。
今回は、コルシア書店の主なメンバーたちの写真や映像を見ていただき
ました。
それにより、登場人物に輪郭に肉付けできました、
すっきりと腑に落ち
ましたとの感想をいただきました。
実をいえば、わたしの一番好きな作家は須賀敦子さんです。
ミラ
ノを旅した大ファンの方には及びませんが、ミラノのコルシア書
店あと、
現在は『サン・カルロ書店』となっています場所を訪れる機会がありました。
ミラノに旅する前に『コルシア書店の仲間たち』を再読すべきだったと、
後悔したのです。
『街』という章で、スパダーリ通りが登場します。
ミラノでも指折りの魚屋通りだったというところが目に留まりました。
わたしの泊まったホテルは高級デリカテッセンペックの隣、
スパダーリという名のプチホテル
だったのです。
もしかしたら鮮魚店だったのかもしれません。
文中に書かれていた魚臭は微塵
もなく、むしろ、ちょっとおしゃれ感のあるお店が
建ち並んでいました。
知っていれば、感慨があったかもしれませんね。

『コルシア書店の仲間たち』を最初に読んだのは、十数
年前です。
その時も感動したのですが、今回再読して、
違う場所に目頭が熱くなりました。
少し遅れてやってきた
熱い青春の日々、輝いていた書店での活動が、
時の流れと
ともに失われていく切なさに、胸を揺さぶられました。
「人間のだれもが、究極においては生きなければならない孤
独と隣り合わせで、
人それぞれ自分自身の孤独を確立しない
かぎり、人生は始まらないということを、
すくなくとも私は
ながいこと理解できないでいた。
若い日に思い描いたコルシア・ディ・セルヴィ書店を徐々に
失うことによって、
私たちはすこしずつ、孤独が、かつて私たちを恐れさせた荒野ではないこと
を
知ったように思う」と、あとがきに書いておられます。
理想の活動地であったコルシア書店の変化、そして最愛の夫の死、
日本では父と祖母が亡くな
り、須賀さんにとって辛い時期であったことが覗えます。
夫ペッピーノさんが生きていたら、きっと須賀さんは今もイタリアに
暮らしていたのではないだろうか
ふと、そんなことを思います。
わたしたちが歓喜して読む小説のようなエッセイは
存在せず
翻訳家として活躍されていたのではない
でしょうか。
最愛のものたちを失うことによって、共に生きた時
間は凝縮され、
時に磨かれ美しさを放ちだします。
須賀さんは書くことによって、
もう一度愛した人たちと共に生き直したのだと感じました。

何度読んでも発見がある須賀さんの作品群は、
没して18年経つ
今もファンを増やし続けています。
他の作品も、機会があれば取り上げてみたいと思っています。

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