読書会まとめ

2018年3月16日 (金)

岡本かの子『鮨』

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岡本太郎の母であり、スキャンダラスな実生活のイメージが先行しがちの作家;ですが、
読後感はさらりとしていて爽やかです。

議題本の『鮨』は鮨屋の少女が店に来る初老の常連客「先生」に抱く淡い恋の裏側に、
食べることの罪深さ、生命のやりとりが語られます。
「先生」が語る生い立ちは岡本かの子自身を思わせ、
宮沢賢治的な繊細すぎる感性の持ち主であったことが窺えます。

この読書会がなければ手に取らなかった作家だというのが、
皆さんの一致した感想でした。
好き嫌いが分かれる作家でもあり、興味が湧いた人が多かったものの、
好きではないという人もおられました。
文章表現の巧みさと的確さと描写力に、
何度読んでも飽きず発見がある古典の要素を 備えた作品だと感じました。

特に先生が語る生い立ちが魅力的でぐいぐい引き込まれます。
今で言う拒食症に陥った幼い頃、
なんとか食べさせようとする母とのやりとりが美しく 人の哀しさとはかなさ、
愛を描きながら、生きることの業が透けて見えてきて秀逸。

人気漫画家でもあった夫、岡本一平との関係に苦しみ 仏教に救いを見出しました。
男性であれば仏教かとして名を残したかもしれないとも言われています。
岡本かの子の人生にも興味が尽きません。

2018年1月25日 (木)

宮沢賢治

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誰でも知っている作家のひとりが宮沢賢治でしょう。
教科書にも登場します。数多くの童話が絵本になっています。
『銀河鉄道の夜』『注文の多い料理店』『風の又三郎』数え出すとキリがありません。

大型書店の絵本コーナーで探してみますと、子どもだけではではなく、
大人も見入ってしまうほど美しい絵や装丁の本がたくさんありまた。
著名な画家やアーティストの創造力を刺激するパワーがあるのでしょう。 

さて、宮沢賢治の作品ですが、本当に読んだ? 
となると怪しくなる人がほとんどではないでしょうか。
実はわたしもその一人です。
あらすじは言えますが、感想を語るには材料が乏しいことに気付かされました。
知ったつもりになっていただけなのです。
だからこそ、今回は宮沢賢治にしましょうと決めました。

改めて読んでみようとしましたら、作品数の多いこと
研究本や資料の多いことに驚きました。
哲学的で不可解で、またまた手強いの です。これは毎回同じなのですが。

今回参加された皆さんは宮沢賢治について、
どのようなイメージを持っておられるのでしょうか。
まず、第一印象をお尋ねしてみました。

童話作家、雨ニモマケズの詩の作者、道徳的、ファンタジー要素、
善良で少し哀しい物語、 妹想い
岩手農民に尽くした、という感想を頂戴しました。
わたしも同じで、ごく一般的な感想だと思います。

議題本議題本である河出書房新社の日本文学全集16に掲載された作品群です。

詩・『春と修羅』『疾中』『星めぐりの歌』[われらひとしく丘に立ち]
『スタンレー探検隊に対する二人のコンゴー土人の演説』
『農学校歌』[生徒諸君に寄せる]

童話・『水仙月の四日』『ひかりの素足』『北守将軍と三人兄弟の医者』
『気のいい火山弾』 『狼森と笊森、盗森』『雪渡り』『土神ときつね』
『雁の童子』『泉ある家』『十六日』  『ボラーノ広場』

わたしといえば、この中で読んだことのある作品は僅かで、
ほとんど知りませんでした。
そのことに唖然とし、読み始めることとなりました。

まず言葉使いの斬新さに驚きました。
これは大人になったからこそ分かることかもしれません。
溢れ出てくる擬音、擬態語の感覚が独自です。
敬遠される連発していますが、今読むと、とても新しく感じました。

雨ニモマケズの詩が、国策として利用されたため、
宮沢賢治は聖人のイメージが出来上がってしまいました。
実際の彼は悩める心優しき青年で、自身の無力さに苦しんでいました。
お金持ちのお坊ちゃま育ちで、父の溺愛に葛藤し、妹の死に絶望を覚え、
信仰の道を模索した人です。

作品内容も多彩で、『毒もみの好きな署長さん』では欲望を肯定しています。
『月夜の電信柱』に感じるのは軍国のにおいです。
世の人の幸せを願いながらも、人間の全てを否定しない作品群は、
むしろ怖いイメージを醸し出しています。

『ひかり素足』は厳しい自然環境の中で生きる人びとの悲哀が、
幼い兄弟たちに托されているように思えました。

宮沢賢治の残した作品群は今なお人々を魅了してやみません。
それと同じく彼の人生も作品とリンクして興味をかき立ててやまないのです。
賢治を知るには彼の生き方そのものと共に読み進めると
より深く理解していけるのではないかと感じました。

先入観だけでイメージを定着させていたことに気付かされました。
日常生活においてもそうかもしれないと、改めて思ったのです。
童話作家だけではない宮沢賢治
その世界をもっと探ってみたいという感想を多くの人が持たれました。
わたしも同じです。

2017年4月14日 (金)

『コルシア書店の仲間たち』須賀敦子著 日本文学全集25 河出書房新社

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須賀敦子さんの軌跡を追って、ミラノの街を旅した大ファンの方、
読書会は全く初めての方も ご参加いただきました。

・皆さん、文章の持つ魅力、巧さと温かさなどは同意見でした。
・須賀さんの作品の中で一番印象深い、映像が浮かんでくるみたい。
・日本ではほとんど感じられない上流階級の人々の描写が興味深かった。
・魂と分かち合うほ相手と巡り会えた幸せと、早すぎる死別ゆえ、
 作家への道を歩み出し、心を動かされる物語を紡ぎ残されたが、反面切ない。
・戦後の日本で、女性の生きる選択肢が結婚しかない時代、周囲の圧力をはねのけ、
 イタリア  で生きることを決意した生き方に強く共感。
・どこかしらイメージがぼんやりしているとの読後感があった。

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今回は、コルシア書店の主なメンバーたちの写真や映像を見ていただき ました。
それにより、登場人物に輪郭に肉付けできました、
すっきりと腑に落ち ましたとの感想をいただきました。

実をいえば、わたしの一番好きな作家は須賀敦子さんです。
ミラ ノを旅した大ファンの方には及びませんが、ミラノのコルシア書 店あと、
現在は『サン・カルロ書店』となっています場所を訪れる機会がありました。

ミラノに旅する前に『コルシア書店の仲間たち』を再読すべきだったと、
後悔したのです。
『街』という章で、スパダーリ通りが登場します。
ミラノでも指折りの魚屋通りだったというところが目に留まりました。
わたしの泊まったホテルは高級デリカテッセンペックの隣、
スパダーリという名のプチホテル だったのです。
もしかしたら鮮魚店だったのかもしれません。
文中に書かれていた魚臭は微塵 もなく、むしろ、ちょっとおしゃれ感のあるお店が
建ち並んでいました。 知っていれば、感慨があったかもしれませんね。

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『コルシア書店の仲間たち』を最初に読んだのは、十数 年前です。
その時も感動したのですが、今回再読して、 違う場所に目頭が熱くなりました。
少し遅れてやってきた 熱い青春の日々、輝いていた書店での活動が、
時の流れと ともに失われていく切なさに、胸を揺さぶられました。


「人間のだれもが、究極においては生きなければならない孤 独と隣り合わせで、
人それぞれ自分自身の孤独を確立しない かぎり、人生は始まらないということを、
すくなくとも私は ながいこと理解できないでいた。
若い日に思い描いたコルシア・ディ・セルヴィ書店を徐々に 失うことによって、
私たちはすこしずつ、孤独が、かつて私たちを恐れさせた荒野ではないこと を
知ったように思う」と、あとがきに書いておられます。


Atsukow_2 理想の活動地であったコルシア書店の変化、そして最愛の夫の死、
日本では父と祖母が亡くな り、須賀さんにとって辛い時期であったことが覗えます。

夫ペッピーノさんが生きていたら、きっと須賀さんは今もイタリアに
暮らしていたのではないだろうか ふと、そんなことを思います。
わたしたちが歓喜して読む小説のようなエッセイは 存在せず
翻訳家として活躍されていたのではない でしょうか。
最愛のものたちを失うことによって、共に生きた時 間は凝縮され、
時に磨かれ美しさを放ちだします。 須賀さんは書くことによって、
もう一度愛した人たちと共に生き直したのだと感じました。

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何度読んでも発見がある須賀さんの作品群は、
没して18年経つ 今もファンを増やし続けています。
他の作品も、機会があれば取り上げてみたいと思っています。

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2017年4月 6日 (木)

『好色一代男』井原西鶴著 島田雅彦訳 日本文学全集11 河出書房新社

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第9回の議題本は井原西鶴著『好色一代男』です。
現代訳は島田雅彦氏。文学界の伊達男という 感じで、
まぁ、ぴったりと思ってしまいました。
『好色一代男』は『源氏物語』のパロディです。
主人公世之介は光源氏の町人版。
『源氏物語』 よりも前の元祖モテ男、『伊勢物語』のむかし男、
在原業平の分身でもあります。

「好色」という言葉から浮かんでくるイメージは卑猥。
女性は、どちらかといえば敬遠したくなる題名です。
光源氏も在原業平も少女マンガに登場しています。
世之介だって同じく麗しい容貌なのですが 好色からくる先入観でしょうか、
少女マンガを彩る存在にはなっていません。
読書会に参加していただいた皆さんも、(女性陣)
名こそ知れども手が伸びない古典作品であったと言わ れた方が多かったようです。
わたしも同じく読書会がなければ読むことはなかったでしょう。

色事はもちろんオンパレード。しかし猥雑ではないのです。
パロディなのでばかばかしさもたくさん。
他愛のない恋愛の中に本気がああったり、恨まれたり懲らしめられたり
ちょっとした教訓談にも読めてきます。

女性サイドから言えば「男ってバカね」に尽きるのです。
でも、どこか憎めない世之介。だってバカなんだもん、ってなるんですね。
恋愛対象は女性ばかりではありません。男性だってOK。
お江戸は恋愛パラダイス。戒律の厳しい欧米諸国からみれば
驚くほど先進的な在り方であったようです。
もちろん恋のルールはちゃんとあり、そこに悲恋と刃傷沙汰がつきものなんですが。

物語は七歳から始まる女性遍歴で、ついに勘当され諸国放浪
遊郭巡り、痛い目に遭いながらも恋愛を繰り返す世之介。
後半は莫大な遺産を受け継ぎます。
そうなると、大手を振って遊郭通い。遊びの粋を極めようとします。

お江戸の遊郭文化は、色事だけでなく、文化芸術の発信地なのです。
遊女でも最高峰の花魁ともなれば、美貌、才媛、心意気が満点の
女王的存在となります。
女っぷりが素晴らしく、ぐいぐいと引き込まれていきます。

遊郭も江戸の吉原、京都の島原、大阪の新町がありました。
それぞれ遊女にも特徴があったのです。
江戸の吉原は武家、侍が多いので、女も度胸がなくてはなりません。
吉原の遊女は気風の良さが売り物、京都の島原はお公家さんが多いので
優雅で才媛です。大阪は天下の台所、美味しい物が集まってくるので
愛嬌なのでしょうか。

遊女と聞けば女性陣は眉をしかめるかもしれません。
すべてではないでしょうが、任期も決められ差別が酷かった
わけではないことが、分かってきます。

江戸文化を語るには欠かせない遊郭の存在。遊び方や花魁たちの
紹介を果たしているのも『好色一代男』なんです。

皆さん、なんとなく印象が変わったと思えた回でした。

実は、この作品から双六が誕生しました。
主人公世之介の人生をめぐる双六、『好色一代男双六』です。
記念的な作品でもあります。

2016年9月18日 (日)

第8回 『百人一首』 小池昌代新訳 まとめ

5回6回は格納庫をご覧ください。

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今回は『百人一首』です。五百年をまたぐ歌の数々、登場する歌人も百人。
それぞれの時代を生きた歌人たちの生涯を知ることによって、
歌の持つ意味合いも深まっていきます。
百人一首本はたくさん出ています。
今回は河出書房新社の日本文学全集2より、小池昌代さんのしっとりした訳で、
歌の意を読みました。 
 
百首ではボリュームが多すぎるので、恋の歌に焦点を絞って約半分にしました。
また、新しい試みとして、パワーポイントを使いました。
平安時代風の巻紙用紙に、恋が始まり、歌を贈る、恋が実るという、
当時の恋愛事情をシミュレーションも兼ねて、好きな歌を書き込んで頂きました。
           
百人一首の恋歌は、恋が始まる時の歌、思い悩む歌、
それぞれのシチュエーションで詠まれた歌があります。
その歌の意味を読み解きつつ、撰んでいきます。
最後には永遠の別れ、もしくは恋の破局が待っているのは、
今も昔も変わることはありません。
恋歌を贈ったり、受け取ったりすることをイメージすることにより、
百人一首の世界をより身近に感じていただくことを目指しました。


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上記の写真はオリジナルブックカバーと、王朝風の巻紙用紙です。
気分だけは王朝で、こちらに撰んだ歌を書いて、お持ち帰りいただきました。
折りたためば奥ゆかしい? 文になります。

歌の多くは平安時代に詠まれています。
ちょっとしたお楽しみとして平安時代の味を試食しました。
平安時代のお菓子、チーズをご用意。
味は素朴ながら、味わい深いとなかなか好評でした。
もちろん好みのもあると思います。
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これは「麦縄(むぎなわ)」又は「索餅(さくべい)」と呼ばれています。
素麺のルーツだとも言われています。
小麦粉と米粉を練り麺状にしてから捻って蒸し、油で揚げたお菓子です。
当時はまだ砂糖がありませんでしたから、小豆などを乗せて食べたりしていました。
素材を生かすあっさりとした甘さで、噛み応えがあります。
長崎のお菓子「よりより」にもそっくりですね。味も堅さも似ているように思います。


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こちらは平安時代に食べられていた古代チーズ「蘇(そ)」です。
飛鳥時代から作られていたようです。牛乳を煮詰め固めたもので、
発酵させていないのでフレッシュチーズが近いのかもしれませんね。
ほんのり甘く少しだけしょっぱい、不思議な味ですが妙に後をひきます。
当時は超高級品で、滋養強壮の薬として食べられていたようです。

奈良の酪農家さんが当時のレシピで作っています。
当時は超高級品、庶民には縁遠い味でした。
この時代から酪農、牛を飼い乳牛を食していたことがわかります。
乳牛院という部署があり、そこで「蘇」を作っていました。
漢方、薬としての扱いだったことが分かっています。

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さて、本題の和歌、百人一首です。上記は万葉仮名で書かれた万葉集です。
平安時代に、万葉集はすでに読めなくなりつつあったのです。
何しろ漢字の音を頼りに書かれたいたのが万葉仮名です。
見ての通りとても読みにくいですね。
和歌は、上手い下手を問わなければすべての貴族階級が詠めた、
いわば文化人の証でした。
いかに心を表現するかは、昔も古典を学ぶことが重要でした。
といってもついこの間なのにって、わたしたちは思ってしまいますね。
でも、明治時代初期の文学ですら、すでに古典と呼んでもよいくらい
読みにくい作品も多いので、納得してしまいます。

歌を上手く詠めると出世の可能性も広がる時代でした。
おまけに異性にもモテます。評判も上がる、いいことづくめです。
手っ取り早いのが古典を学び、再利用することです。
万葉集の中で、これいい歌だなぁと思えば言葉を拝借、
自分なりに細部に変化をつけて出来上がり。オリジナリティが問われる現代とは真逆で、上手く使えば評価されました。これを「本歌取り」といいます。 
上記にも書きましたが、すでに読めない万葉集です。
となるとお勉強したってことです。
教養が高いとアピールすることでもあるんです。
付け加えれば、男性貴族は漢詩が読めて作れるのが必須です。
業務日誌も漢字で書かなければなりません。
昨今の企業、「公用語は英語」という感じでしょうか。


お堅い業務は漢詩、オフタイム、恋を語るとなればひらがな遣いの和歌なんです。
するりと流れるようなひらがなは、今見ても美しいものです。
もちろん書体の美しさも評価対象であることは今も昔も同じです。
宴会の席でも歌は重要です。
良い歌を詠めれば場を制することができるのですから。
上司の目に留まれば出世の機会も訪れます。
身分の高い方々の歌合に呼んでもらえるかもしれません。
そんなわけで和歌は、出世の手段として、とても有効でした。          

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いよいよ恋歌です。百人一首の約半分は恋の歌で締められています。
正確には四十三首ですが、雑や四季の歌にも恋歌とも思えるものがあります。
あら、貴族は恋ばっかりしていたのかしら、そう思いがちですね。
実はわたしもそうでした。

しかし、貴族の一日を調べてみると、忙しいことが分かります。
夜勤だってあったんですね。
とにかく電気がない時代ですから超朝方勤務。内裏は6時前に開門します。
午前中で仕事は終わり、アフターファイブはお付き合いと学問、
ならびに芸事、雅楽や蹴鞠、歌合などに興じていました。
正直お遊びとも見えちゃいますね。でも文化は、遊びの余裕が生み出していく部分も、
多くあったのではないかと思います。
そんな合間に殿方たちは恋をします。
平安時代、身分の高い女性は人前に姿を見せることはありません。
屋敷の奥、座敷ならば簾の中に身を隠しています。
           
出会えないなら恋なんてできません。
いえいえ人には想像、いや妄想と呼んだ方がよいかもしれませんね。
あそこの姫は美しい、などと噂を聞きつければ、もう妄想は止まりません。
自分好みの女性を想像して矢も堪らず、恋文を贈ってしまいます。

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次に垣間見(かいまみ)と書けば、偶然に巡りあったような風情が漂ってきますが、
実際は覗きです。垣根越し、垣根の間から余所様お宅を覗き見るんです。
上品とは言いがたいですね。
一瞬でも女性の姿を見つけ好みであれば、即、恋は成立。
もちろんこの時点では片思いです。
恋は請う。目の前にいない人を請う思いなんです。
片思いが恋の王道とも言える時代でした。
思いを遂げたあとは別れる辛さに嘆き、いつ会えるのだろうかと悶々とする、
会えた喜びよりも、切なさを詠むのが恋歌の特徴かもしれません。
           

天皇の后にお仕えする女房たちは、
出勤してくる貴族とやりとりすることも多かったことでしょう。
外では滅多に出会えない女性と会えるのです。
そうなると恋も生まれやすい、女房達の関係は社内恋愛みたいなものでしょうか。

恋が始まると文を贈ります。もちろんお会いしたいと詠った歌を添えます。
一方、受け取った女性はひとまずお断りするのがルールです。
気を持たせつつ、やんわりと華麗に拒絶した歌を返すのが淑女たるものの心得。
返事を読んだ殿方が、なんと賢く品があって可愛い人と、
歌だけで思わせなくちゃいけません。そして、再度歌を書き送るのです。

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何度かの歌の往き来があったのち、二人は会うことになります。
まず一夜、三日続けて夜を過ごせば結婚となります。
三日目にはお餅を食べます。これで結婚が正式に成立。

このような解説をもとに、平安時代の暮らしを辿りながら、
百人一首の恋歌を撰んでいただきました。
今回の反省点は、みなさんが撰んだ歌をご紹介する時間がなかったことです。

百人一首はすべての古典の入口です。歌が詠まれた背景を辿れば、
それを実感することとなりました。
最後の歌は貴族文化の終焉、後鳥羽院と順徳天皇です。
平家、源氏を経て武士の時代になっていきます。

次回の議題本『好色一代男』井原西鶴著、江戸時代に書かれた本ですが、
平安時代の雅はカタチを変え残り続けていることが分かります。
もちろん百人一首の歌も息づいています。
古典は現代にも繋がっているに違いないのです。
そのことを古典初心者のわたしは百人一首に学ばせて頂きました。 




2015年11月 5日 (木)

第5回 まとめ 南方熊楠、柳田國男、宮本常一 

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今回は民俗学です。文学全集14の中から南方熊楠の『神社合祀に関する意見書』、
柳田國男からは『酒の飲みようの変遷』、宮本常一の『共稼ぎ』、
『家出』を読んでみました。
            
南方熊楠の『神社合祀に関する意見書』は白井光太郎宛書簡です。
白井光太郎は日本の植物病理学の先駆者です。
変わり者で癇癪持ちと言われた熊楠と長きにわたり交友を続け、
なおかつ尊敬された例外的な人物です。
その敬愛する人にエライことになった。
なんとか力を合わせこれを止めなくてはなりませんと現状報告、
後にわたる悪影響の懸念を理論整然と述べています。
         
神社合祀をおおまかに言えば、明治末期、神社の数を減らして合併し、
こちらが認めた規模の神社だけにして、権威を高めましょうという政策です。
日本各地には大小様々な神社が各所にありました。
それを各市町村1社のみしようというのです。神社は広い森を所有し、
樹木はご神木として大切に守られてきたのです。
土地や立派なご神木に目をつけた業者や地方役人が、
国の政策だと住民感情を無視して、神社を壊し木々を切り倒して利益を得ていたのです。<
         
熊野は熊楠であり、熊楠が熊野だ。そう言わしめるほど熊野の自然を愛していた熊楠は、烈火のごとく怒ります。熊野がある紀伊半島は独自の自然も豊かで、
歴史的に神社が多い土地柄でもあります。
それゆえ神社合祀の被害が最も多かった地域のひとつでした。
欲に目が眩んだ人々は一度壊してしまえば二度と元に戻らない森、
珍しい植物たちを蹂躙していきます。
自然の循環と役割、今で言うエコロジーを説いたのが熊楠です。
現在も自然破壊は止まるところがないのが悲しい限りですね。
熊楠は科学的観点と理論も合わせ、実例をこと細かく書き記しています。
         
熊野の森から出てきた妖精ならぬ、精人がいる。
森の脇に立つ熊楠の写真を見たの第一印象です。
百科事典を暗記し、18言語理解していた超人ですが、数学に興味がなかったのでしょう。計算は苦手であったというのが興味をひくところです。
逸話にも事欠かない熊楠は、実際に関わるには別として、
一定の距離を置いて追いかけるには魅力的な人物に間違いありません。
彼のおかげで熊野の自然はなんとか守られ、世界遺産として認められるに至りました。
やはり熊楠は熊野の森の申し子であったに違いない、そんな思いを強くしました。
         

柳田國男『酒の飲みようの変遷』はお酒好きのエンゾさんを中心に読んでみました。
1939年(昭和14年)に書かれているので、
現在とまた大きく変わっているのだと思いました。
どこにでもあって飲める物ではなくて、祭りやイベントでのみ飲めるものでした。
一人ちびりちびりと手酌で酒を飲むのは卑しいこととされていたようです。
それでも飲みたいという人のために、立ち飲みで酒を振る舞う場所ができ、
それが今の居酒屋へと変化していきました。

昔の酒は粗悪品で、あまり美味しいものでもなかったようです。
お酒は儀式から楽しむ方向に流れて、今は味も良くなりました。
楽しんで飲むのが一番だと、みんな賛同。
         

宮本常市『共稼ぎ』はコミチさんに読み解いて頂きました。<br>
昭和25年、対馬の海で、
小さな船で漁をして暮らす老夫婦に話には心温まる姿がありました。
苦楽をともにして晩年を迎え、お互いをいたわり、
ねぎらい合う風情の底辺には男女平等の精神があると感じました。
ハワイ移民も過酷な条件の下でも夫婦者であれば、
お互いを支えにして頑張れたとあります。

一昔前の民衆社会には共稼ぎは当たり前とされていて、
生活は貧しくともそこには深い相互信頼があり、
女が男の権力に屈しているような風景はみられなかったという、
最後の一説に納得しました。
男は女に寄り添われることによって、どのような世界をも生きぬくことができともあります。男女同権は戦後のアメリカから与えら<れたのではなく、
日本の民衆社会に根付いていた、まさにそうだと宮本常市さんを読んで実感しました。
         

宮本常市『家出』はアコさんが担当しました。
昭和三十年代は結婚すれば、
家の中が世界の全てになってしまい閉鎖的になってしまいがちです。
外にはもっと素晴らしい世界があるのではないか、
その妄想が大きくなって家出してしまう話が最初に書かれています。
確かに世界が狭まるもので、気持ちはよく理解できます。
でも、しかし世界はそう変わらないというのも事実でしょう。
島の女の章も、身体を売っても心は売らずで、たくましさと賢さが見えてきます。
作者の視点が女性を温かく視点で捉えているので、好感を持ちました。
別の本も読んでみたいと思います。


『普段着の婚礼』『人身売買』など、一昔前の日本の庶民世界、地方の風俗をまさに庶民の目線から描き出し、へぇ~と驚くこともたくさんありました。
まだまだ知らないことが多いと実感し、もう少し読んでみたくなりました。
         
                                              (編集・代表 椿野手毬)

2015年10月27日 (火)

第4回 まとめ 『廃市』 福永武彦著 

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廃市』は十年前の記憶をたぐり寄せるように書かれた小説だ。
大学生の僕が卒業論文を書くひと夏のため、とある町の旧家にやってくる。
快活な妹とはかなげな美貌の姉に出会う。
そこで姉夫婦と妹を挟む関係の末路に立ち会うこととなる。と書けば、
おどろおどろしい想像をしてしまうが、流れる川のごとく、さらりとした読後感だ。

『廃市』は死都と呼んだ方がイメージが浮かびやすいかもしれない。
福永武彦がこの小説を書くにあったって、北原白秋の詩を添えた写真集、
『水の構図』を参考にしたことは有名だ。
『廃市』の冒頭に「……さながら水に浮いた柩である」北原白秋『おもひで』とある。
『廃市』という言葉も抒情小曲集『おもひで』に登場する。
「私の郷里柳河は水郷である。さうして静かな廃市の一つである」と。

           
風景描写が美しく、想像をかき立てるとの感想をほとんどのメンバーが持った。
日本的な風景で、河が市内を流れている。そこそこ田舎であるとなれば、
北原白秋の郷里でもある柳川が浮かんでくる。
福永武彦は一度も柳川を訪れたことがなく、
日本ではないどこか架空の舞台を想定して書いたようだ。
だが、白秋から多くの着想を得ているので、読者としては、
柳川を想像してしまうのは仕方がないことに思える。

今回は、福永武彦ファンであるエンゾさんに説明を頼んだ。
福永武彦の生涯はトップページにある読書会の模様で、
エンゾさんが概要を述べてくれている。
キリスト伝道師であった母と弟の死、友人の自死など、
若くして多くの喪失を体験している。
また、病弱であり、生涯を通じ何かしらの病を患っていた。
福永武彦が愛読した北原白秋も、幼年期に世話をしてくれた乳母が
自分が罹ったチフスに感染し亡くなる。
親友の自死、大火などによる家の没落、
自身も病を患うことが多かったなど、共通点が数多く浮かび上がってくる。

北原白秋の『おもひで』に記された郷里柳河は、死のイメージを纏っている。
亡なった乳母が幻のよう現れる詩、大道芸人に売られた軽業の子どもを描くなど、
美しさと共にもの悲しさが胸に染みてくるような詩が多い。
秋のたそがれを感じさせる。
わたしはレイ・ブラッドベリの『10月はたそれがの国』を連想してしまった。

白秋が描いた『廃死』のイメージは少年の記憶であるのに対し、
福永武彦は大学生の僕を選んだ。
論文を書き終えれば大学を卒業して社会に出て行くことが決まっている、
未来ある青年だ。
僕が体験するのは親しい人の喪失ではなく、男と女の不可解な愛の末路だ。
その前で、なぜか僕も愛に踏み出せず、時間の果てに置き去りにしてしまう。
若いエネルギーを蓄えた僕ですら
『廃市』が持つ滅びの魔力に立ち向かうことができなかったのか。
           
滅びとは哀しい美しさがある。一歩引けば、
触れてはならないほど完成された美とも思えてくる。
だから読者は、こんな恋愛の悲劇は成り立たないのではないかとの疑問も持ちながらも、先へと流されていく。
残されるのは、淡い哀しみと緑深く、水の流れる美しく寂しげな町の風景だけ。
           
『廃市』という小説は風景画に似ているとわたしは感じた。
風景の中に人物が小さく配置されている。
人もまた風景の一部なのだ。
思い描くのは西洋画だろう。
白秋も影響を受けたローデンバックの『死都ブリュージュ』にある退廃と
ロマンチシズムを、日本の風景で描きたかったのかもしれない。
                                                                                  (編集・代表 椿野手毬)

2015年8月 1日 (土)

第三回 たけくらべ 樋口一葉 川上未映子訳 まとめ

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「たけくらべ」は少年たちと少女の群像小説である。
明治の吉原遊郭を舞台に、祭りに始まり祭りで終わる。
名作と名高い。
擬古文が読みにくく、名こそ知れども読まずに来た人も多いのではないだろうか。
わたしもその一人だった。
           
今回は川上未映子さんの現代訳だ。サラサラ読むことができた。
まず、吉原遊郭と祭りの情景が丹念に描かれている。
映像的で色鮮やかに場面が浮かんでくることに感心した。
女性らしい目線も光る。
おしゃれかおしゃれでないか、それを江戸の粋というのだろう。
当時のファッション描写も興味深い。

淡くて苦い初恋物語を軸に、舞台背景である吉原遊郭周辺で暮らす人々の営み、
町並みの姿なども丁寧に書き込まれている。
何よりも祭りの情景が面白い。祭りに集まってくる芸人たちは飴屋、軽業師、
人形使いに大神楽、角兵衛獅子らで、いい男もいい女もいるらしい。
当時はどんな風であったのだろう。想像するだけでわくわくしてくる。
歌や踊り、三味線の音色が随所に登場するのも、賑やかで楽しげだ。
           
わたしがイメージしていた吉原遊郭はモノクロ画面だった。
ところが、読んでいくうちに華やかな原色図鑑に変化していく。
時代時代にそれぞれの価値観がある。今の感覚で想像してはいけないのだ。
先入観を捨てて小説の世界に浸って楽しみ、理解出来ない場面は調べて補強する。
そうすれば名作である由縁、奥深さを味わうことができる。
さっと読んで堪能する読書とは違い、
読み解いていく喜びを「たけくらべ」から教わった気がする。

この回はコミチさんにレジメを頼んだ。
花形花魁の姉を持つ美少女美登利、
廃仏毀釈で自立を余儀なくされた寺の長男、真如。
金貸し稼業の祖母と二人っきりで暮らす心優しい正太。
鳶の親方が父の荒くれ長吉は洒落者。
気弱な三五郎は車引きの息子で、
それぞれが親の社会的地位を背負いながら暮らしている。
その関係性を丁寧に読み解いて頂いた。
           
そのおかげで、「たけくらべ」が群像小説であることがしっかり見えてくる。
誰もがリアリティのある物語を持ち、どの子が主人公になってもおかしくないほど
綿密に計算されて描かれていると言われたのに、一同納得となった。
           
また、一葉がどの子も同格で描いていることにも注目したい。
誰かに肩入れしているわけでもなく、距離感を保ちながら
彼らが背負っている定めを描ききっている。
だからこそ、白い水仙の造花で断ち切る見事な幕切れへと繋がっていくのだろう。

わたしは、竜泉寺町にある樋口一葉記念館を訪ねる機会に恵まれた。
一葉が筆で食べることを諦め、生活苦を抱えながら商売で身を立てようと
駄菓子屋を開いた地である。
休むことなく働き続けたが僅か9ヶ月で行き詰まった。

吉原遊郭も近く、「たけくらべ」の素材を得たのだろうと考えられている。
駄菓子屋にやってくる子どもたちの中でも、特にお気に入りの女の子がいたらしく、
その子を美登利のモデルでにしたのではないかと言われている。
           
方向音痴であるわたしは、樋口一葉記念館のすぐそばにあるという一葉居住跡
(名所碑だけだが)に辿り着くのにずいぶんと迷った。
道路脇にぽつんと建っていた碑を見逃していたのだ。
石碑が壊れたので銅板の標識に変更されていたこともあった。
           
冒頭文に登場する「見返り柳」も、今では国道沿い佇んでいる。
かぼそげな立ち姿に、水辺ではないから辛いだろうなぁと、声を掛けたくなってしまう。
すでに何代目かららしく、先代は枯れたり消失の運命を辿ったようだ。
吉原遊郭跡地は現在も風俗店が建ち並んでいる。
迷い迷い歩くと疲れるほどで、当時の広さが実感できた。

古典に不慣れなわたしは、どのように読み解いていけばいいのかという不安を抱えて、
記念館を訪れた。一葉は遙か遠くにいる明治の文人でしかなかった。

小さな文机、若い女性にしては地味すぎる着物を着通した小柄な立ち姿の写真。
推敲を重ねた原稿。江戸の匂いが残る東京の町を転々としながら、
暮らしを立てるために奔走し続ける。
父の死後、16歳で家督を継ぎ、家長として母と妹を養う責任を背負う。
借金だってあった。重い責任を全うするため、全力疾走で駆け抜けた24年の生涯が、
ゆっくり心に染みてきた。
           
一葉は女であることに甘えなかった。女であることを厭わしく思い、
恋に苦しみ、食べていくことに苦しみながらも、そこから逃げ出さず、
立ち向かっていった人だ。
           
駄菓子屋の商売が上手くいかなくなると、再び筆を執ること決意する。
「笑うならば笑え」と背水の陣をひいて、一葉は書き始める。
ついに奇跡の14ヶ月が訪れ、日本文学史上に名を残す作品を次々と生み出すに至る。

一葉が書いた最初の小説は下手でねぇ、とコミチさんが言われた。
二十歳そこそこで、お金になるからと書き始めたが、やはり甘かったのだろう。
その後のままならぬ人生の辛さを噛みしめ、
目の前にある今を書き綴る術を会得したのではないだろうか。
感情を排し、下町に生きる人々、女性たちの現状を、
和歌で培った擬古文で流麗に書き残していった。
           
「たけくらべ」で描いたのは町であったように、わたしには思える。
江戸の最盛期を経て明治という新しい時代を迎え、
陰りを感じさせ始めた遊郭の華やかさであり、その中で暮らす少年少女であった。
わたしでありぼくで、あの子だった。
その時の町は、最高のカメラで映した写真のように「たけくらべ」という小説の中に
記憶された。
           
しっかりと記憶に残されたものは普遍性を持ち続ける。
受け取って貰えなかった紅い布。手渡したかったかもしれない造花の白い水仙の花。
交差することがなかった想いは、はかなく消え去ったりはしない。
いつの日にか、人生に流され続ける途上で、わたしたちは振り返る。
そこに紅い布はより紅く輝き、白い水仙は白いまま残り続ける。
                             (編集・代表 椿野手毬)

2015年7月20日 (月)

第2回 鳳仙花 中上健次 まとめ

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女性から敬遠されがちな作家のひとりだ。わたしもそうだった。
名前はもちろん知っていた。
映画化にされた作品も多い。だが、男臭い感じがどうも馴染めない。
その印象が間違っているのかいないのか、読んでみるには良い機会だった。
『鳳仙花』は彼の母親がモデルだという。
中上健次の作品の中でもかなりソフトな方らしい。
           
参考文献として髙山文彦著の『エレクトラ』を読んだ。中上健次の生涯が語られている。
『鳳仙花』よりも夢中で読んだ。
彼の生涯に圧倒されるし、小説よりも遙かに面白いのだ。
彼を知れば小説に向かわざるを得ない。
草食系と言われて久しい現代で、置き忘れられたような熱があった。

中上健次はエッセイで母親のことを「最初の夫の子どもを四人、二度目に一人生んで、
三度目の夫に出来た子を次々と堕ろした母」と書いた。
これだけを読むと、おどろおどろしい想像をしてしまうが、
『鳳仙花』の主人公である美少女フサへの視点はどこまでも優しさに満ちている。
息子、少年の目線なのだなと思った。ともすれば歪みを強く考えがちだが、
極貧の風土で生き抜かねばならない状況に説得性があり、
フサの心情に寄り添って読める気がした。
           
少女から女になり、母となったフサは生きるために逞しくなっていく。
恋と母性に揺れながらも、生き抜く姿は力強く美しさえ感じさせ、
圧倒された感想が多く出たように思う。

被差別部落のことを「路地」と読んだ中上健次。そのことを避けては通れない。
紀州、和歌山の古座、新宮が舞台である『鳳仙花』の風景描写は美しい。
グーグルマップで散歩してみた。
切り立った崖と背後から迫ってくる熊野の山々があり、住むには厳しい土地だ。
道路や鉄道が整備された現代なら風光明媚とも言えるが、
フサの生きた時代ならばどうだったであろう。移動の険しさが想像できる。
隔絶され、否応なし「路地」で暮らすしかなかったのではないか。

教育も曖昧で、フサは読み書きができない。
実際に中上健次の母もそうだった。本を読めば気が狂うと信じていた。
学校に行けば虐めにあうことも多い時代だったし、生きるために子どもであっても、
働かなければならなかったのだろう。
辛い事も多かったはずだが、「路地」で描かれる暮らしは貧しくとも
暗さは感じられなかった。むしろ明るさがある気がした。
           
全集の作品は他にも『熊野集』『紀州、木の国、根の国物語』で紀州と熊野が語れる。
古事記では神武天皇上陸の地である。
全集の14では南方熊楠の『神社合祀に関する意見』が載っている。
これにより熊野は守られた。だからこそ世界遺産となり得たのだけれど。
やがて登場する日本霊異記にも熊野が登場する。
中上健次が書き記した熊野が今に一番近い。
どこかでみな繋がっていると思うと、全集を読み通したい気持を強くした。                             
                                              (編集・代表 椿野手毬)

2015年7月 6日 (月)

第1回 古事記 池澤夏樹訳 まとめ

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最古の書物、古事記から第1回の読書会がスタートしました。内心ドキドキです。
読んでも読 んでも頭に入ってこない部分が多い。
神々の名前の多さや、物語の展開が早く、人はすぐ殺されてしまうことも多いのです。
頭の中で?マークが並びます。まさに『混沌』の世界。どう語り合うか、道筋も立たないまま読書会に臨みました。
           
心のよりどころは、昨年、奈良県立美術館で開催されていた『大古事記展』を観てきたことと、会場で購入した本や図録などです。
           
昨年は太安万侶が古事記を編纂して1300年だったのです。その企画展でした。
秋の終わりに奈良に出向いて展覧会を見て回りました。
見学者の平均年齢は高く、わたしは若手じゃないかと内心ほくそ笑みましたが。。(珍しいことなので)

もっと堅苦しい展示かと思えば、なんというかおおらかな感じなのです。
あれ、もっと自由に読んでもいいのかなぁという感じを持てたのが幸いしました。
           
そう、先入観を捨てて自由に読み解いてみよう。それぞれでいいのだから。
今の価値観を当てはめないで、古代の人々が神様をどのように想像していたのか、生きるに厳しい環境に翻弄されつつも、口から口へと伝えられた物語です。
当時の生死感、食べ物は? 料理は? 酷く不味かったらしく、料理そのものが簡素あったとか、感銘する神さまだとか、ややこしいことを抜きに疑問をぶつけ語り合いました。
           
こんな機会がなければ読むことがなかった。読んでみてよかったという感想にみんなが着地できたのは嬉しい限りでした。

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